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Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その3) - ノスヒロのコンテッサ1300スプリントについて
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Contessa Sprint - コンテッサ・スプリント(その3)

ノスヒロのコンテッサ1300スプリントについて


 最近のノスヒロが岐阜県に葬られているコンテッサ1300スプリントの様子をノスヒロ流に彼等のタッチで取材していた。皆さんも目にしたかと思う。ボクも書店も立ち読みをさせていただいた。ボクにとって1,000円弱を投資して、手にするものではなかった。さて、ここで今回のノスヒロに登場した可哀想なスプリントをボクなりに参考のためにお伝えしよう。

 ノスヒロによると今のオーナーは確かiさんと言うことだった。このスプリントは当時の日野自動車が、フランスはノルマンデーのアルピーヌ・エンジニアリングに依託し、完成した3台(註.1)の内の一台だ。しかも、貴重な唯一のスチール製ボデーだ。他の2台はアルピーヌのお得意のファイバー製だ。

 皆さん御存じのようの、イタリアのミケロッティは自身の能力を示すために、コンテッサ900ベースで900スプリントを自らのリスクで手掛けた。これは完全なワンオフだった。コンテッサ900のプラットフォーム上に、ミケロッティデザインの小柄な「引き締まった」適切なサイズの魅力的なボデーを創った。トリノーショーやニューヨークショーで話題を巻き、1963年の東京モーターショーでは誰しもが釘付けとなった。当時の話では日本での販売の意向は無く、欧州市場がターゲットだった。しかし、それは実現されなかった。理由は素晴らしさ故の欧州自動車業界の欧州での生産&販売への進出反対だったとか。(以上、(註.2))

 時は1964年(と推定。註.2)、日野自動車の中の海外営業部門の役員がコンテッサ1300のコンポーネントを流用し、900スプリントのデザインで、何とアルピーヌ・エンジニアリングに市販前提に車両製作の依託を行ったのだ。その主なスペックは如何のようなモノだった(推測):

  • アルピーネ110と同様なフレーム構造とする
  • エンジンはコンテッサ1300ベースにアルピーヌがツインカム化する(日野GR改アルピーヌ製DOHC
  • 足回りのパーツはコンテッサ1300のものを使用(これはアルピーヌ110がルノーを流用するのと同じ手法)する。そして4輪完全独立サス(リアはスイングアクスルではない註.5))、四輪ディスクブレーキ(大径)とする。
  • 評価のためにファイバーグラスとスチール製の両方を製作するい(註.6)。
  • ユーロピアンスモールGTの市場がターゲット。

 何とも魅力的なものである。日野が考えたか、アルピーヌ側の意見か定かではないがこんなものが欲しいと思うスペックである。当の役員さんはレッド・アルファ狂いだったとか、その意味で的を得てるのかも知れない。しかし、何故、ミケロッティではなく、アルピーネなのかは不明である。でも、ルノーがそうであったように、その「模倣」をしてみたかったのだと推測する。

 さて、アルピーヌで完成した車両はフランス、イタリアと欧州各地をテストドライブしていたのである。70年代半ば、当時のミケロッティスチューデォの方にお会いする機会があった。その際に、自らがツインカム車をテストしていたと言うお話をいただいた。そして自動車年鑑と言うべきAutoMobile Year誌1965 - 1966にもHino Sprint GTとしてちゃんと登録していたのである。

 そして、3台(註.7)の1300スプリントは日野の工場に配送されてきた(日野の工場にて。これはファイバー製でコンテツと同じように後方からエアを吸う)。その後の日野社内の処遇については未確認である。もし当時の日野社内に事情を御存じの方がおればぜひ確かなる情報を期待したい(情報はこちらへ)。

 結果的に、おそらく70年過ぎと推測するが外部に放出されたのである。放出と言う語が適切かどうかは分からないが、資産償却期間が終わり、何らかの処分が必要だったのだろう。幸運にも3台の1300スプリントは土に戻されず、何と無事生きた形で日野社外へと脱出したのだ。

 その一台(ファイバー製)は日野の試作車などの塗装を手掛ける某社が持ち出した(註.4)。しかし何とも残念ながら解体されてしまった。70年代のある時期は部品が残っており、オーナーのコンテツに部品なんか取り付けられていた。二台目(ファイバー製)は日野の当時の輸出部門の方が持ち出し、御自身で車検取得を目指した。そして三台目(スチール製)は日野のレース関係者が自宅へと持ち帰った

 この3台目の唯一のスチールボデーはその後、標準のコンテツの部品(エンジン含む)に交換することで、一応走行出来る状態にし、カラーリングを淡いイタリアンパープルにし、1972年3月の第5回東京レーシングカーショーに出展されていた(写真5:第5回東京レーシングカーショー)。ホイールはAHPの7Jのデッシュになっていた。その後、このクルマはモーターファンの売買欄にも登場した。

 さて、1972年だったかと思う。ボクは何とか大学出て、サラリーマンを始めた頃だった。ボクのコンテツも徹夜アルバイトで手にした1300Sから、月賦で待望の程度の良いクーペに切り替えた翌年だった。ある時期、デルレーシング関係の方からボクの友人のレーシングコンテツのための「74」のピストンをもらって来い(その当時、ボクはこの74と言う意味を知らなかった)との命で、日本橋の日野の輸出部門を訪ねた。

 そこでの話は、何と、レーシングカーショウの展示したスチール製1300スプリントを売りたいのだがボクに買いませんかと切り出された。そうその方がスチール製を持ち出した張本人だったのだ。そして、このクルマは金を持ってないと乗れませんと弁、そして金額をこのくらいと。ボクはペイペイの文無しで、間髪を入れず、私はカネ無しと応じると、氏は冷静に、そんならやめといた方がよいと。それが全ての会話だったと記憶する。そこ後、大分、時間が経た後、行方をお聞きしたところ、岐阜の中津川の方が持って行った、とのことだった。

 そして、時は1976年のある時期、コンテツ関係ではないクルマのエンスーの友人がボクの家を訪ねて来た。その際に持ってこられた写真は岐阜の恵那市の国道19線沿いの自動車修理工場での見かけたスチール製1300スプリントであった(写真6:中津川の修理工場にて)。ホイールはノーマルの換えられているものの、ボデーはレーシングカーショウのそのままの綺麗な状態であった(その後、確認したら特製ホイールを売らなかったとのこと)。

 それから数年後、1979年、CARトップ誌の取材アレンジをした際、結果的(当初は手中にあったファイバー製を取材にする予定だったが所在不明になり、急遽、中津川のステール製にしたと言うのが実際の経緯)に恵那市のスチール製1300スプリントの話になり、早速取材となった。その当時、オールペイントを進めているようであった。CARトップ12月臨時増刊でボクのクーペL(サムライ)と新井さんのクーペS(ツインカム)と共に特集ページを飾った。CARトップはスチール製1300スプリントに「日本の財産とも言える貴重な1台は、必ずやその姿を表わすだろう」とのエールでしめた。

 その後は、このスチール製1300スプリントにボクは全く関わりあいがないし、今回のノスヒロに登場するオーナーも面識はない。そして、数年前、名古屋の友人が、偶然、風化させてしまった大地に戻りつつあるスチール製1300スプリントを発見し、詳細にフィルムにおさめてくれた

 以上は、日野の直接の当事者ではないが、その後、ボクが関わったこと、目にしたことの記録である。ボクは当事者によらず且つ事実に基づかない話は嫌いである。今回のノスヒロは残念ながら事実が明確にされてない。そんな意味で事実が風化し、事実に基づかない話しが伝説として一人歩きしない前に、ボクの知っていることを簡単に纏めてみた。尚、出来れば、もう一台の1300スプリント(ファイバー製)のその後の事実も纏めてみたい。

 最後にこの1300スプリントの評価だが、個人的にはボクはスタイリングのバランスが好きではない。実車をみると900スプリントの「引き締まった小粋は伯爵婦人」に比べて、「体形が経年変化してしまった体重オーバーな大柄なただのオバサン」のようなのだ。なんとも締まりがなくバランスが悪いのだ。最もシャシーはアルピーヌA110そのもので魅力的だが。しかし、体重は比較にならないほど重い(AutoMobile Yearのスペックは違う、おそらく目標値か)。さて皆さんはどうでしょうか?

註.1:ここの3台がアルピーヌ製である確実な検証を出来てない。矛盾のない検証が出来ているのはグラスファイバー製の1台だけである(2008.1.19現在)
註.2:参考資料 - 悲劇の伯爵婦人(オールドタイマー誌:No.11〜16)
註.3:シャシー図面などの日付から検証。コンテッサ1300が発表・発売が開始(1964.10)前から開発が進められたいたことになる(2008.1.19)
註.4:現物持ち出しの事実は再検証中(2008.2.3)
註.5:これについては旧い時代の関係者の証言であるが、検証、すなわち現物の裏付けが取れてない。調査中。(2008.2.3)
註.6:評価はファイバーグラスのみとみるべきと考える。スチール製については別途目的と考える。いずれにせよ調査中。(2008.2.3)
註.7:3台については検証を待たなければならない。ミニマム1台(ファイバー)の可能性も選択枝である。いずれにせよ調査中。(2008.2.3)

日野GR改アルピーヌ製DOHC(参考:74の系譜
   
AutoMobile Year誌1965 - 1966
   
日野の工場に配送されてきた。これは赤のファイバー製でコンテツと同じように後方からエアを吸う(パイプフレームは日野プロトのテスト走行の火災の残骸と思われる。よって非常に秘密裏に保管されたと推測)
   
償却処分を免れたスチール製スプリント、これはルノーR8のようにボンネットのスリットからエアを吸う。日野社内の保管用のためと思われる錆止めが全身に施されている。
   
第5回東京レーシングカーショー(CG誌、1972年5月号より)
中津川の修理工場にて(その後
CARトップ12月臨時増刊より

本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて)


(S.Ezawa、2008.2.3(改訂)、2002.11.10(オリジナル)

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